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熊本大分大震災 2016 [災害関連情報]


4月の14・15日、くまもと、大分で前震、本震の大災害がおこりました。

鹿児島でスマホの緊急警報と、テレビの警報とが

いっぺんに大音量で鳴ると同時に

スゴイ揺れがきました。

幸いにも、震度4強くらいの揺れだったけど、

動物本能で、これはただ事じゃない!!!!!

テレビで直ぐに、熊本が震源地であることが確認出来ました。

震度7???!!!!!

夜が明け、被害はあの東日本大震災の時のように次々と。。。。

その後、情報を得る事に専念、何かできないか?

救援物資を収集してる団体に物資を持ち込んだり、

募金したり、

逆に遠方の友人親類からの「大丈夫だった?」メールを貰ったり。。。

2週間が不安で夜が怖くて、

でも、被災地に何もしてあげれないもどかしさと、

被害に遭われた方々への悼む思いと。

この記事を書いてる途中でも、余震がありました。

薩摩半島西方沖。。。。川内原発。。。。

地震、火山大国の日本。

頑張れ日本!熊本、大分、九州!!!!!

亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。





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タグ:震災
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『3・11 』3年が経ちました。 [災害関連情報]

今日は3月11日。
震災から3年です。
あの日を正確に言えば、
発生から一週間を忘れることが出来ない。
こんなに離れた鹿児島の地で、
右往左往する日々でした。

テレビでのほほんとバラエティーを見ていたら
突如、ニュース速報が流れ、
映像が変わる。
受け入れられない映像が中継で流れる。
詳しい情報もなく、
暫くして、津波警報の画面になる。
津波到達まで、30分〜2時間だったか?
定かではないが、
全局津波の警報を流し、
こんなに時間があるなら、全ての人たちは
余裕で避難出来ると信じ込んでいた。
本当に信じていた。
この情報化時代の日本でこれだけ津波報道がされてるのに、
伝わらないことは絶対にないと。

その安易な考えはすぐに目の前にあるテレビで画面に映し出された。
愕然と絶望と哀しみでその中継から目を離すことが出来なくて
ただただ、画面に映る地獄絵図を見ていた。
(あまりの映像に未だに鮮明に思い出す。)

その後、福島県相馬市の姉同然の従姉妹家族の
安否を探した。
勿論、こんな時、電話をかけてはいけないと知りつつ
でも、動転してて判別が出来なかった。
繋がるわけがない。
佐賀の父に電話をし、父にしてみれば姪夫婦、
安否の確認が取れたか尋ねるが
結果は同じ。姉にもしたが同じ。

同時に、東京の姪と甥の安否も探すが連絡つかず。
こんなに不安な時間をいつまで続けるのか?
緊急伝言ダイヤル?に従姉妹の伝言があるかも?
など、なにか手段がないか?頭がパニック。

東京の姪と甥にはその後メールで連絡が付き、
地震直後の恐ろしさと、経緯を聞き
鳥肌が立つ。そして、涙だった。泣いた。

しかし、依然、相馬の従姉妹との連絡は付かない。
何通もメールを送った!
やはり、メールが有力だった。
二日後、返信が入る。
「避難して家族全員無事よ」
すぐさま、父と姉にしらせる。
寝てないせいか、ドッと力が抜けた。

しかし、今の従姉妹の状態がどういうものなのか?
全くわからない。
南相馬には従姉妹の息子家族が小さな子供と暮らしていた。
原発事故・・・・・・。

いま、私は何をしたらいいのか?
現地には行けない。
だとすると、こんなに遠く離れた場所で
何が出来る!!!!!?????

物資が、水が、電気が、家が。。。。
そして、原発からの逃避。
3日後、携帯の電話が繋がった。
家が一部損壊して寝泊まりは車でしてる。

道路は寸断されて、まだ動けない。
息子達夫婦はこっちに避難してるが、
孫が気になるから、ガソリンを手に入れたら
取り敢えず車で行ける親戚がいる福井県に向かう。

この一週間、電話が繋がる度に
従姉妹を励まし続けた。
それしか出来なかった。
テレビとネットから情報を得て、
従姉妹だけではなく、避難民受け入れの手続きをしたり、
(結局はウチまで入る人数には達しなかったけど。)
物資を送る手段を探したり、
義援金を何処に寄付すればいいのか・・・。

兎に角、今、私に何が出来るのか。
自問自答し、それでも何も出来ない自分に
無力を感じ、また、ぬくぬくと自宅にいる自分に困惑していた。
それはきっと、多くの人が感じていたことだろう。

自体は時が経つに連れて悪化の一途。
日々増える、行方不明者と死亡。
そして、一番最悪の事態に発展した原発事故。

毎日毎日、ニュースを見ていた。
段々鬱状態になりかけている。
でも、現地の方々、避難に遭われた方々、亡くなられた方々、
自衛隊、ボランティア、救済中の方々・・・・
比べると比較にならない自分の立場。

しばらくして、従姉妹夫婦の心の傷を癒すことが少しでも出来ればと
鹿児島に招いた。
毎日、余震の恐怖から逃れ、
安心の夜をグッスリと寝てもらい、
震災をいっ時でも忘れてもらえたらと。

色んなことを話した、聞いた、相談した。
九州に戻ってきたら?
佐賀の空き家に住んでいいよ。
そう、熱く言ったが、
従姉妹夫婦には、福島を離れることが出来なかった。
その理由も否定できない。

息子達3人は福島で産まれ、福島で育ち、福島で就職し、
福島で結婚し家族を持った。
「私たち、親だけが九州に帰ることは出来ない」

胸に刺さる言葉だった。
安易に私は息子たちも孫もみんなこっちに来ればいいのに、
なんて言ってしまった私は本当に浅かった。
息子家族にもそれぞれに、奥さん方の親族がいて
友人知人いて、働いてる同僚がいて、
故郷の絆がある。

故郷を復興させる使命感がある。
息子の一人は学校の先生だった。

語れば、もっと長くなる。

ただ、3年経った今の従姉妹の状況は
ほぼ、昔の生活に戻り家の修繕も出来、
周辺の相馬市も通常の街になりつつある。
しかし、家の近くまで来た津波の被害となった場所は
まだまだの状況。

幼い子供がいる息子家族は妻と子供は福井県、
旦那は福島(仕事で)、と離れた生活をしてる。

従姉妹の旦那は独自で食品に含まれる放射能量の計測機を
作っている。
さらに、生活範囲の放射能の数値を計る毎日。
決して、油断出来ない日々は続いている。

未だ行方不明の方々のご親族様、
復興の手が着かない被災地の皆様、
原発の恐怖と闘っておられる方々、
お見舞い申し上げますと共に、
一日も早い、安心が訪れることを切に願っています。

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3.11 一年経って・・・追悼 [災害関連情報]

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あれから、1年・・・

一日たりとて、忘れたことはなかった。

それは日本中の人もそうだと思う。

色々ありましたね、この災害に関して浮き彫りになった日本の原発も。

もやっとしてた、原発の正体。

真剣に考えた国民。

復興の進む中、まだまだ暗中摸索状態のこともある

被害にあった人達はあと何年辛抱すればいいのか?

少し遠くにいる私に何が語れるか?

軽々しく言葉に出来ない。

ただ、忘れないこと、

支援を怠らないこと、

伝え続けること、

しぶとく生きること。

被災地でお亡くなりになられた方々に

心より、お悔やみ申し上げます。

私が病気になってくじけそうになるといっつも心に言い聞かせてること・・・。

希望を捨てない・・・微かな希望でも、

一瞬見えなくなってもまた、向きを変えて見つける。

希望がどんどん小さくなっていっても

小さな希望へ思いを切り替える。

大きな山に登る希望が無理になったのなら、

小さな山に登るという希望に切り替える。

出来ないことを数えない、出来ること考えよう!ってね。


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「被災地へ食べ物を届けよう」プロジェクトイベント [災害関連情報]

 今日はツイッターで見つけたイベントへ支援物資を持って行って来ました。

そして、『こころのえてがみ』さんでは僅かながらポストカードを買わせて頂きました。^^

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『フードバンクかごしま』

http://foodbank.ksnk.org/

【フードバンクとは安全に食べることができるにも関わらず、

処分される食品を寄贈して頂き、

 食べ物の支援を必要としている方々へ無償で再分配する活動です】

 ※HPより参照

 

 

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『こころのえてがみプロジェクト』
http://www.kokoete.jp/

【こころのえてがみプロジェクトとは

【鹿児島県で活動されているフォトグラファー、イラストレーターの方々ほか、

たくさんの作品をポストカードにし、

収益を「東日本大震災義援金」として送金するプロジェクトです。

今回は「私たちになにができるのか、何かしたいのだけど。」という、

どうしようもない思いが始まりです。

小さい力ながら一生懸命考えた結果、このかたちとなりました。

大きな団体でも企業でもなく、個人単位の本当に小さな活動です。

至らない点多々あると思いますが、「出来るだけ早く、出来るだけ多く」

その思いだけで見切り発車ですが、全力疾走しております。】

※HPより参照

 

今日のこのイベントの物資や収益金は

『岩手県遠野市から三陸を支援する一般社団法人 プロジェクトNext』

http://www.project-next.com/projectNext/Top.html

に送られます。少しでも支援になると嬉しいです。

 

 

購入したポストカード♪素敵でしょ~。

SH3I0132.jpg

一番右のイラストレーターは知人の『アトリエ縄文じいさん』のうえだまさのぶ氏 

もともとこのイベントも彼を通じて知りました。

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自分自身、病気を抱え思うように震災の支援行動も出来ず

出来ないからといって行動に移さない自分も腹立たしく

こうしてしっかりと頑張って一時しのぎではなく

支援活動をしてる方々の小さな小さなお役に立てることが出来ることで

本当にありがたく、感謝しています。

 

私は昔、ボランティアとは公に支援してると公表するべきではないのかな?と思っていたんです。

影で、それこそ『足長おじさん』的な感じが最適な支援方法なのだと。

名乗らない、公にしない・・・それが美学のように勘違いしていたように思います。

ですが、人の心や関心はすぐに消えてしまいがちです。

私もきっとそういうところあると思います。

少しメディアなどで騒がれて脚光を浴びる災害や飢饉、貧困、発展途上国の現状も

時が過ぎ、報道も薄れて行くと、人々の支援の手も薄れて行くようです。

だから、ボランティアは影で美しくなんて、そんなことではいけないんだと思うようになりました。

偽善者ぶってると思われてもいい、もっと、公に、もっと大声で叫ぶ必要があると。

そして、無関心になり行く私たちと国を、動かすことが大事だと。

 

 


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東北地方太平洋沖地震等により被災された方への住宅提供情報 [災害関連情報]

私に縁のある県の情報です。
2011.3.18現在、県ホームページより

****鹿児島県の場合****


東北地方太平洋沖地震等により被災された方の県営住宅80戸への入居について


東北地方太平洋沖地震等により被災された方に対し,

県営住宅の空家を一時的な居住の場として提供します。


1 入居資格
東北地方太平洋沖地震等により被災し,住宅に居住できなくなった方であること。

(東京電力(株)福島第一原子力発電所及び第二原子力発電所等の災害により

避難指示を受けた方も含みます。)

 

2 入居期間

6か月。被災者の状況等により,更新を認めます。

3 使用料(家賃)等

(1)使用料(家賃)及び敷金は,全額免除となります。
 (2)駐車場使用料,共益費,光熱水費は,入居者負担となります。
 (3)連帯保証人は不要となります。
 (4)退去時の修繕費用は不要となります。
 

4 問い合わせ先

 建築課住宅政策室
 
 住所: 鹿児島県鹿児島市鴨池新町10-1
 電話: 099-286-3735
 FAX: 099-286-5637
 E-mail: jutaku@pref.kagoshima.lg.jp

 


 

****佐賀県の場合****


東北地方太平洋沖地震の被災者の皆さまを3万人受け入れます

2011年3月18日 東北地方太平洋沖地震で被災された方、

避難されている方を支援するため、

佐賀県では3万人の被災者の皆様の受け入れ準備をスタートしました。

今後、県内の市町や関係団体と調整しながら、さまざまな種類の滞在先を手配します。

 

 (滞在先の例)

1.公営住宅、雇用促進住宅
2.旅館、ホテル
3.研修所、社員寮、同窓会館、別荘、自治会館
4.民間アパート、マンション、空き家
5.公営の保健センター、温泉センター、老人保健センター、老健施設
6.お寺など宗教施設
7.民泊
 

公営住宅や民間アパートなどは県や市町で受け入れの調整を行いますが、

民泊について県民の皆様の協力をお願いします。

 

<連絡先>

【被災者受入支援チーム】

佐賀市城内1-1-59 佐賀県庁新行政棟3階

電話 0952-25-7385

ファックス 0952-25-7386


【東北地方太平洋沖地震支援窓口】

設置場所  県危機管理センター

電話 0952-25-7401 ファックス 0952-25-7020

Mail saigai-shien@pref.saga.lg.jp

 


佐賀県は凄く力を入れています。

古川知事、頑張ってください!! 

この情報が何かの役に立てれば嬉しいです。

 


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東北地方太平洋沖地震 [災害関連情報]

東北地方太平洋沖地震で被災地の方々に追悼とお見舞い申し上げます。

2011年、3月11日、2時46分

M9.0

大災害が起こりました。

鹿児島で普通の1日を過ごしてた私には

ただただ・・・・中継のテレビ映像を見てるだけしかできませんでした。

 

津波に呑み込まれる凄まじい映像と被災地と被災者を映し出す映像は

ここにいて何も出来ないもどかしさを募らせています。

そして、福島第一原発・・・・・・・

 

福島の相馬市にいとこがいます。

その日に携帯メールで『元気です、自宅の車の中にいます。』

と姉から連絡があったことをしりました。

 

余震が起こる度に今度は倒壊するかも・・・という不安と戦う毎日で

その上、原発の恐れ。

 

その後、直にいとことメールしながら、何も出来ない自分たちがもどかしくて、

はがゆくてたまらない。

ただ、”頑張って生き抜いて!事態は良くなることを祈ってる”

と伝えるだけ。

 

福島から少し離れたところに避難することにしたそうだけど、

いとこ(年金暮らしだが)の息子さんの仕事は福島。

福島を離れては収入はどうするのか?

家族はこんな時こそ一緒にいたいと思うだろう。

今後の問題も大きな不安になって圧し掛かっている。

沢山の不安、一つでも解消させてあげたいと思うけど、

規模が大き過ぎて、義援金しか出来ない現状。

せめて、道路が開通しガソリンが充分に配給出来てくれればと

願うしかない。

 

いとこのことを書いてるけど、すべての被災者の方々にも同じように

救いの手が早く隅々まで届いてほしいと願っています。

 

今日で1週間、只今の時刻2時46分

・・・・・黙祷・・・・

涙が出ます。

 

14年前、いとこの息子さんの結婚式に父と母を連れて行った福島 仙台

綺麗だったあの海と町は・・・・

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