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『3・11 』3年が経ちました。 [災害関連情報]

今日は3月11日。
震災から3年です。
あの日を正確に言えば、
発生から一週間を忘れることが出来ない。
こんなに離れた鹿児島の地で、
右往左往する日々でした。

テレビでのほほんとバラエティーを見ていたら
突如、ニュース速報が流れ、
映像が変わる。
受け入れられない映像が中継で流れる。
詳しい情報もなく、
暫くして、津波警報の画面になる。
津波到達まで、30分〜2時間だったか?
定かではないが、
全局津波の警報を流し、
こんなに時間があるなら、全ての人たちは
余裕で避難出来ると信じ込んでいた。
本当に信じていた。
この情報化時代の日本でこれだけ津波報道がされてるのに、
伝わらないことは絶対にないと。

その安易な考えはすぐに目の前にあるテレビで画面に映し出された。
愕然と絶望と哀しみでその中継から目を離すことが出来なくて
ただただ、画面に映る地獄絵図を見ていた。
(あまりの映像に未だに鮮明に思い出す。)

その後、福島県相馬市の姉同然の従姉妹家族の
安否を探した。
勿論、こんな時、電話をかけてはいけないと知りつつ
でも、動転してて判別が出来なかった。
繋がるわけがない。
佐賀の父に電話をし、父にしてみれば姪夫婦、
安否の確認が取れたか尋ねるが
結果は同じ。姉にもしたが同じ。

同時に、東京の姪と甥の安否も探すが連絡つかず。
こんなに不安な時間をいつまで続けるのか?
緊急伝言ダイヤル?に従姉妹の伝言があるかも?
など、なにか手段がないか?頭がパニック。

東京の姪と甥にはその後メールで連絡が付き、
地震直後の恐ろしさと、経緯を聞き
鳥肌が立つ。そして、涙だった。泣いた。

しかし、依然、相馬の従姉妹との連絡は付かない。
何通もメールを送った!
やはり、メールが有力だった。
二日後、返信が入る。
「避難して家族全員無事よ」
すぐさま、父と姉にしらせる。
寝てないせいか、ドッと力が抜けた。

しかし、今の従姉妹の状態がどういうものなのか?
全くわからない。
南相馬には従姉妹の息子家族が小さな子供と暮らしていた。
原発事故・・・・・・。

いま、私は何をしたらいいのか?
現地には行けない。
だとすると、こんなに遠く離れた場所で
何が出来る!!!!!?????

物資が、水が、電気が、家が。。。。
そして、原発からの逃避。
3日後、携帯の電話が繋がった。
家が一部損壊して寝泊まりは車でしてる。

道路は寸断されて、まだ動けない。
息子達夫婦はこっちに避難してるが、
孫が気になるから、ガソリンを手に入れたら
取り敢えず車で行ける親戚がいる福井県に向かう。

この一週間、電話が繋がる度に
従姉妹を励まし続けた。
それしか出来なかった。
テレビとネットから情報を得て、
従姉妹だけではなく、避難民受け入れの手続きをしたり、
(結局はウチまで入る人数には達しなかったけど。)
物資を送る手段を探したり、
義援金を何処に寄付すればいいのか・・・。

兎に角、今、私に何が出来るのか。
自問自答し、それでも何も出来ない自分に
無力を感じ、また、ぬくぬくと自宅にいる自分に困惑していた。
それはきっと、多くの人が感じていたことだろう。

自体は時が経つに連れて悪化の一途。
日々増える、行方不明者と死亡。
そして、一番最悪の事態に発展した原発事故。

毎日毎日、ニュースを見ていた。
段々鬱状態になりかけている。
でも、現地の方々、避難に遭われた方々、亡くなられた方々、
自衛隊、ボランティア、救済中の方々・・・・
比べると比較にならない自分の立場。

しばらくして、従姉妹夫婦の心の傷を癒すことが少しでも出来ればと
鹿児島に招いた。
毎日、余震の恐怖から逃れ、
安心の夜をグッスリと寝てもらい、
震災をいっ時でも忘れてもらえたらと。

色んなことを話した、聞いた、相談した。
九州に戻ってきたら?
佐賀の空き家に住んでいいよ。
そう、熱く言ったが、
従姉妹夫婦には、福島を離れることが出来なかった。
その理由も否定できない。

息子達3人は福島で産まれ、福島で育ち、福島で就職し、
福島で結婚し家族を持った。
「私たち、親だけが九州に帰ることは出来ない」

胸に刺さる言葉だった。
安易に私は息子たちも孫もみんなこっちに来ればいいのに、
なんて言ってしまった私は本当に浅かった。
息子家族にもそれぞれに、奥さん方の親族がいて
友人知人いて、働いてる同僚がいて、
故郷の絆がある。

故郷を復興させる使命感がある。
息子の一人は学校の先生だった。

語れば、もっと長くなる。

ただ、3年経った今の従姉妹の状況は
ほぼ、昔の生活に戻り家の修繕も出来、
周辺の相馬市も通常の街になりつつある。
しかし、家の近くまで来た津波の被害となった場所は
まだまだの状況。

幼い子供がいる息子家族は妻と子供は福井県、
旦那は福島(仕事で)、と離れた生活をしてる。

従姉妹の旦那は独自で食品に含まれる放射能量の計測機を
作っている。
さらに、生活範囲の放射能の数値を計る毎日。
決して、油断出来ない日々は続いている。

未だ行方不明の方々のご親族様、
復興の手が着かない被災地の皆様、
原発の恐怖と闘っておられる方々、
お見舞い申し上げますと共に、
一日も早い、安心が訪れることを切に願っています。

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きしゅう

昨日までたくさんだたった震災関連の番組も、今日はごくわずか。。
被災者の方たちの心情を察すると安易には語れないけど、被災地ではもう3年ではなくてまだ3年。何事に関してもまだまだこれから。
東京オリンピック開催は素晴らしいことだけど、その準備よりも優先することがたくさんあると思います。
by きしゅう (2014-03-12 21:10) 

yuko

きしゅうくん

そうそう、あれから3年しか経ってないのに、
報道番組の一部としてしか、特別に扱われてませんでしたよね。

私も、東京オリンピック誘致が決定した時、
こころの底から喜べなかった。複雑な気持ちで。

by yuko (2014-03-14 19:15) 

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