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川原尚行医師の講演会感想 2010・7・27 [ロシナンテス&写真展]

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随分と間が空いてしまいましたが、
先月の7月27日に行われた
川原尚行医師の講演会『意志あるところに道拓けるか?』

このブログには講演を聴いた私の感想といいますか、
思ったこと、を綴ってみたいと思います。
少し・・・講演会の内容から外れるかもしれません・・・(笑)
しかも長文です!
読み辛いので太文字にしています。

*****

話はご自身の経歴やロシナンテス発足の経緯からはじまりました。
外務省医務官で赴任したタンザニア時代からアフリカに関わり始め、
赴任先がもしアメリカだったら今のこの壇上に
「私はいないかもしれない」と言った医師だが、
きっとそれでもアフリカに関わっていたように私は
医師を知れば知るほどそう思う。
どう見ても・・・”フとメ”の一文字違いだけど
”アメリカ”という感じはしない・・・(笑)←スミマ
セン^^;

”義を見てせざるは勇なきなり”論語
【目の前の正しいことを見ながら
(人としてなすべきことと知りながら)
それを実行しないのは、勇気がないからである】

※論語(中国の思想書、孔子没後、門人による孔子の言行記録)

の言葉を言われた。
私の中でもとても好きな言葉だったが
ふと・・・ある言葉が浮かぶ。

鹿児島に嫁いで早や18年。
鹿児島県人として少し板についたか?というくらいだけど、
その中で、いつも気になっていた言葉がある

”義を言うな”

なんとなく今ひとつ分からない言葉
いい言葉なのか?あんまり良くない言葉なのか?
主人に聞けば、あまり言われたくない言葉と言うし。

それでこの際、ちょっと考えてみたくなった。
論語からすれば”義”は正しいこと、正論、ということで
直訳すれば、「正論を言うな」ってことでしょう?
でも、そうじゃないということは私でもわかる。(笑)
たぶん・・・「ごちゃごちゃ言うな」ってこと。

薩摩隼人たるもの、つべこべ言わずさっさと思ったことは行動しろ!
ってことじゃないですかね?^^

”義を見て~”と”義を言うな”は一見反対語のようにも思えるけど
真の意味するところは同じのように結論付けた私です。

人から”義を言うな”とは確かに言われたくないけど
自分自身にいつもこの言葉で活(カツ)を入れたいですね。

と・・・本題から脱線しましたね。(笑)
脱線ついでに、川原医師の血には薩摩が流れていて
医師のおばあさまは霧島のご出身だとか。
確かに・・・医師は南国系のよかにせどんです。

奥様のかよさんは前回のブログにも書いた通り
叔父様が出水市の方です。
今回、運良く嬉しいことにそのかよさんと叔父さんにお会い出来ました

その話はまたあとで。(笑)


講演会の中でも医師は家族のお話をされます。
それは、人は一人では生きていないということです。
帰るべき場所があり、支えてくれる人たちがいる
守るべき人がいる、未来に伝えていかなければいけない人がいる。
すべての人に”感謝する”
その想いを一番に伝えるのは家族なんだと思います。

医師はご自身のことを言いながら、すべての人に家族への感謝を
忘れないで欲しいと言ってると思うんですよね。
スーダンで活動しながら、スーダン人の家族の結束や愛が
今の日本人に失われかけつつあることをひしひしと考えさせられ
それを日本人に取り戻して欲しいと・・・。

おやじ(&母親)の背中を見て育つ。
父が不在でもそれがグレる理由にはならない。
要は父親がなぜ不在なのか?
を知ることだと思う。
また脱線して申し訳ないけど、
私の両親もかなり不在してた。
特に中学からはほぼいない感じでしたね。
もちろん、共働きということで。

親の事情で私の生活は世間一般の状態からは
少しチグハグなリズムになった。
それでも、一応まともな大人になった。・・・と思う。たぶん。

子供ながらに親の背中をしっかりと見ていたからだと思ってる。
それは、親がちゃんと子供に背中を見せていたからと思います。
そして、その背中は親として人として体を張って頑張ってる背中だった
から。

両親共に決してやりたかった仕事とは違う。
医師のように信念を貫くような仕事でもなかった。
ただただ・・・家族のために。私たちが路頭に迷わないように。

肉体労働も深夜にまでおよぶ残業も、休みも無く働く姿は
”親”としての誇り、責任に支えられていたのだろう。
それが、両親の”信念”だったのでしょう。

人間臭くバカ正直で感情の起伏の激しい完璧な両親ではなかったですが
まっとうに生きてる生き様は子供として人間として尊敬しています。

↓ 川原夫妻です♪

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医師には3人の子供がいる。
もちろん、医師は不在で日本(北九州)で
奥様と子供たちの4人が生活してる。

誰が言ったわけでもなく、長男君はおやじの青春であったラグビーを
おやじと同じ高校で自分の青春にしている。

長女ちゃんは高校バレーボール部で青春中。
世間一般にはナイーブで父親を疎ましく思う時期だけど、
父親を慕ってくれて頻繁にメールをくれるとい
う。

次女ちゃんは小学生で、すくすくと育ちかわいい盛り中。

世の中には”仕事と家族とどっちが大切なの?”
って質問する奥様がいるが
家族を愛する父親、夫は”どっちも大切!”
って思わせるのがいい男っ
ぷりの答えと私は思う。

それを受け入れる母親、妻の器も大きくなければ
信頼をして外で仕事を頑張れる夫にはなれない。
・・・・・そんなことを考えながら講演を聴いていた私・・・
・・・自身ないなぁ~。
(笑)

横で聴いてた主人・・・・
どんなことを考えて聴いていたのだろう?(
笑)

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『遠回り』というロシナンテスの会報誌がある。
講演の中でもこのこと医師の体験談を交え話された。
それを聴きながら私が思ったこと。
若い時、自分の進みたい道は分からない。
例えその時これだ!という道を突き進んでいても、
気が付けば・・・
今の道は随分と遠回りした道だなと気が付く時もある

目の前の欲しいものを手っ取り早く取ろうとしても
あと数ミリ届かない。
その数ミリのために数キロ回り道してみても
諦めなければその数キロは決して無駄ではなく
数キロなりの大きな収穫がある。

時にはその数キロの道程に自分の意志とは違う道が
待っている時もある。
人は日々変化していくと思っている。
例えば一年前に言っていたことと今は違う時もあり
それを色々と罵る(ののし)人もいる。
私も時にはそういう人になってるかもしれない。

未熟さゆえに口走ったこと、行動したこと、考えたこと、
私には恥ずかしながら数え切れないほど沢山あって
人生経験を積む毎に過去の自分を反省する。

そして、ものの見方をあらゆる角度から見れた時、
考え方も変化する。
前進のための変化、必要だと思うんですね。

その反省点の変化で違う道を選択することになることもある。
揺るがないものもあれば、頑固に自分の意志を通そうとせず、
一歩譲れる柔軟なふり幅も大切だと思っている。

人は変わる・・・人は変わらない・・・どちらも大切のように思う。
自分の型(やり方)に周囲をはめ様と思わないで、
自分が周囲の空気に
臨機応変に対応していくこと、
それも遠回りなことだったとしても
結果は良かったと思えるかもしれな
い。


幾度も困難なことに遭遇する、
その時は凹みもするし激しくダメージを
受けることもある、
いつしか、そういう場に出くわすと私はこう思うようにしている。

”意味の無いことはない”

その意味はすぐに答えが出ることもあるし、
5年後、10年後に
「あ~そうか、あの時の失敗や悔しさや悲しみは
の時のためにあったんだ!」
と大きく感動することが多々ある。
もしかしたら、30年、40年経って気が付くこともある。

遠回りと一言いっても、沢山の遠回りがあることに気が付く。
医師の言う遠回りとは少し違ったかもしれないが、
手には到底届きそうもないとてつもなく大きな”希望”も
誰でもない自分が一歩一歩確実に進むことで、
色んな出会いが、希望への道を大きく迂回させてでも辿り着かせてくれる

変わることと変わらないことの柔軟なバランスを保ちながら。

最後に医師の講演の中から。

『ハチドリのひとしずく』
森が燃えていました
森の生きものたちは
われ先にと 逃げていきました
でも クリキンディという名のハチドリだけは
いったりきたり
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます 
動物たちがそれを見て
「そんなことをして いったい何になるんだ」
といって笑います
クリキンディはこう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」
※【『ハチドリのひとしずく』より 光文社から発行】

南米アンデスに伝わる短い物語です。
私は随分前から知ってましたが
改めて医師の口から聞くと
医師のこれまでの活動とオーバーラップして
長い長い物語に聞こえます。

人でも、生き物でも、自分に出来ることがあります。
それは大なり小なり、かまわないのです。
その時に出来ることを見つけ、することなんですよね。

医師の活動は傍から見ればものすごいことなんですよね、
でも、医師は医師の出来ることをやってる。
母親が我が子に愛情を注ぎながら
育ててることとなんら変わりないこと
のように思います。

私はスーダンには行けません。
大きな寄付金をすることも
現地の人の病気を治すことも、
医師をサポートする看護師にもなれません

持病を抱え、ちょっと不自由の私は、
開き直れば、何も直接協力出来ることは無いのです。
でも、私にも出来ることが考えればあります。
間接的には沢山。

”頑張ってください”の言葉。
微力ながらブログでの情報配信。
ちょびっとの募金、
カレンダーや、本を買う。
甥や姪たち若い世代、友人知人に医師の活動を知ってもらう。
ロシナンテスに学ぶことを吸収すること。
人に優しくすること。
ゴミを分別すること。
親を大事にすること。
笑うこと。

感謝すること、敬うこと。
他人に迷惑をかけないこと。
お金を大切に使うこと。
人を愛すること。
病気と闘うこと。
精一杯生きること。

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