母の原点 有田町 [気まぐれ日記]
陶山神社
暮れ正月と少し長い間佐賀に帰省していて
母の具合も少し回復したこともあって
久しぶりに母の原点に行ってみることにした
母は父と同じく昭和5年生まれでもうすぐ82歳になる。
母は佐賀県有田町で生まれた。
父と結婚してすぐに大阪の岸和田に移り住み、
私と姉を出産した。
それまでの母は、有田町という陶器の町に育った。
家のすぐ側には『陶山神社』がある。
名の通り、陶磁器の町である有田の守護神として祀られ、
鳥居が陶磁器で作られている、日本でも珍しい神社です。
この神社についてはまた後ほど詳しく書きます。
神社の入口は踏み切りがある!!
道の突当りは有田陶器市の中心地になる
で、こんな凄い神社のお膝元にある母の実家。
もちろん、陶磁器に関わらないわけがなく、
母の母は(私のばあちゃん)は明治生まれで
明治、大正、昭和初期まで陶器の窯元に絵付師として
働いていた。
宮内庁にも納めていた陶磁器の絵付けもしていたという。
母の話では家には菊の紋入りの皿があったそうだ。
で、ばあちゃんから聞いた話ではその宮内庁に納品する陶磁器の
絵付けをする人は極数人の絵付師で
仕事をする時は、周辺にしめ縄?らしきもので囲い
身を清めて白い着物で行っていたそうです。
ばあちゃん。。。。すごいよ。^^
その遺伝子、少しでも私に受け継がれたのかな?(笑)
深川製磁
香蘭社
話は母に戻して。
母はというと7人兄姉の末っ子で年の離れた姉さん(私の伯母)が
頭の切れる人で、戦前、食べ物の行商をしてお金を貯めて
この実家で魚屋兼雑貨屋を開いたそうなんですよね。
なので、母は生まれたすぐから魚屋で育ち
根っからの商売人として暮らしてました。
幸いにも有田は酷い空襲にはあわずに済み
戦争という実感はそんなにないそうです。
ただ、商売という苦労は沢山してきたと話します。
後に商才があった伯母は結婚と同時に実家のここを出てご主人の地元で
母と3人、2坪のうどん屋から
地元では名の知れた結婚式場や宴会場、
仕出し屋の店になる基盤をつくることになります。
時代は流れ、伯母の引退とバブルの影響と共に
今はそのお店はひっそりとなってしまいましたが・・・。
有田町という陶器の町に生まれ商売の環境で育った母。
私の幼少時代、母が帰省すると陶器市の店番や親類のお店を手伝わされていた。
何処を見ても”陶器・陶器・・・”なので、焼物はみんな有田焼と思っていた。(笑)
余談だけれど、幼い時、広くて大きいと思っていたばあちゃん家。
でも、こうしてみると・・・・・すっかり周辺の風景は変わり
オンボロのばあちゃん家が小さく見える・・・。
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